色を混ぜるアプリをつくり始めたとき、最初に考えたのは「現実の絵の具を、どこまで正確に再現するか」ではありませんでした。もっと単純に、子どもが赤と黄色を見て「混ぜたらオレンジになるかも」と思ったとき、その期待がちゃんと次の遊びにつながることでした。

現実の絵の具は、思っているより複雑です。同じ“赤”でも顔料が違えば結果は変わり、量や濃さ、紙、光によっても見え方は変わります。物理に忠実であるほど、必ずしも子どもが頭の中に描いた変化と一致するわけではありません。

RYBだけでは、少し素直すぎる。

赤・黄・青を軸に考えるRYBは、絵の具の感覚を伝えるうえでとても分かりやすい考え方です。Shizukuruも、その直感は大切にしています。

ただ、単純なRYBの補間だけでは、色を足したときの濁り方や、青・緑・マゼンタのような色の“強さ”の差まで、気持ちよく表現できませんでした。同じ一滴でも、どの色も同じ力で効いてしまうと、触っているうちに結果が機械的に見えてきます。

そこでShizukuruでは、色ごとの効き方や、多色を重ねたときの彩度の落ち方などを別に調整しています。RYBの分かりやすさを残しながら、そのままでは足りないところを補う、という考え方です。

リアルであることを、目的にしない。

顔料の光学的なふるまいを扱う方法として、Kubelka–Munkのような考え方があります。実在する絵の具に近づけたいなら、とても魅力的です。

でもShizukuruでは、その方式を丸ごと採用することはしませんでした。理由は、リアルさが高いことと、遊んでいて納得できることは、必ずしも同じではないからです。

現実に忠実な結果が、子どもの「次はこうなるかも」を何度も外してしまうなら、このアプリではその正しさを優先しません。逆に、何を混ぜても鮮やかできれいな色になるだけなら、それも違います。色を重ねれば少しずつ濁る。反対の性格を持つ色を合わせれば落ち着く。白を足せば軽くなる。そうした“絵の具らしい抵抗”は残したい。

気持ちのいい嘘。

Shizukuruの混色には、現実とは少し違う部分があります。それは欠点としてではなく、意図して残している“嘘”です。

たとえば、ある色を足したときの変化が分かりやすくなるよう、色ごとに着色力の差を持たせています。複数の色が増えたときには、急に灰色へ落ち込まず、それでも少しずつ濁りが感じられるように調整しています。

その一方で、何度試しても同じ条件なら同じ方向へ進むこと、近い色をつくれば近い結果として扱われることも大切にしています。「きれいに見えるから今回は特別」という気まぐれな処理にはしたくありません。

「こうなるかも」を、裏切らない。

このアプリで検証しているのは、単に色の数を増やすためではありません。子どもが遊びながら立てた小さな仮説を、次の操作につなげるためです。

赤を増やしたら赤の方向へ。白を足したら明るい方向へ。反対の色を重ねたら、少し落ち着いた方向へ。もちろん毎回、頭の中の色と完全に一致する必要はありません。大切なのは、結果を見たときに「そうなるのか」と受け止められ、もう一度触ってみたくなることです。

だからShizukuruにとっての“正しい色”は、現実の顔料を最も厳密に再現した色ではありません。次の好奇心を止めない色です。

まだ、完成ではない。

混色の調整は、色を一つ直せば終わるものではありません。一つの組み合わせを自然にすると、別の組み合わせが不自然になることがあります。そのたびに、基本色の効き方、濁り方、判定の境界を見直しています。

リアルさと分かりやすさの間に、一つの正解があるとは考えていません。遊びながら「これは気持ちいい」「これは少し期待と違う」を拾い続け、そのバランスを少しずつ更新していく。その過程も含めて、Shizukuru Mixing Labの色づくりです。